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東京高等裁判所 昭和26年(う)2685号 判決 1952年1月31日

控訴人 東京地方検察庁検事 田中万一

被告人 薫田広五郎

検察官 小出文彦関与

主文

原判決中被告人薫田広五郎に関する部分を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は東京地方検察庁検事正代理検事田中万一名義の控訴趣意書と題する書面に記載されたとおりであるからここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

案ずるに

本件公訴事実の要旨は「被告人は東京都江戸川区小松川四丁目東京小松川街商小店親睦会会長として、東京国税局江戸川税務署、江戸川区役所より、右会員に対する税の適正賦課、取立、保管等の仕事を依囑され、右業務に従事中、同会事務員鈴木定次郎と共謀の上、昭和二十四年五月上旬頃から昭和二十五年三月上旬頃迄の間に、前記会員池田金一郎他百二十二名より昭和二十四年度事業税及び所得税金として税務署に納入すべく預り保管中の現金三十七万七千八百七十五円を、その同都内において擅に自己の用途に費消して横領したものである。」

と云うのであるが、

原判決はこれに対し「右記載によれば被告人は池田金一郎外百二十二名より昭和二十四年五月上旬頃から昭和二十五年三月上旬頃迄の間に預り保管中の現金をその頃自己の用途に費消したというのであるから、その現金は一度に費消したものでないことが窺われる。然るに、横領罪は不法領得の意思が発現したとき即ち費消の都度成立するものであるから、かかる数個の犯罪行為を示すには各個の行為の内容を一々具体的に示し、更に日時場所等を明かにすることによつて一の行為を他の行為より区別しうる程度に明示しなければならない。然るに右起訴状によれば各個の費消横領行為が何ら具体的に示されていない。従つて本件公訴は訴因を特定せずに為されたものであつて刑事訴訟法第二百五十六条第三項に違反し無効である。」として同法第三百三十八条第四号により公訴棄却の言渡をしたものである。

思うに起訴状には公訴事実及び罪名その他を記載しなければならない。公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するにはできる限り日時、場所、及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないことは刑事訴訟法第二百五十六条の規定するところである。同条にいわゆる訴因とは罪となるべき具体的の事実、換言すれば犯罪構成要件に該当する具体的の事実をいい、その特定とは他の訴因と紛れることのない程度に、即ち同一性を認識させるに足る程度に、日時、場所、方法、目的物件の記載によつて罪となるべき事実を特定するの謂であることは多言を要しない。本件公訴事実によれば被告人は前記親睦会会長として同会員池田金一郎外百二十二名から税務署に納入すべく預り保管中の現金合計三十余万円を昭和二十四年五月上旬頃から同二十五年三月上旬頃迄の間に自己の用途に費消したと云うのであるからその費消の所為は単に一回に止まらず多数回に上つていたものと推認されることは原審の説示するとおりである。そして横領罪は不法領得の意思が発現したときに成立するものであるから、原審が本件について個々の費消行為により各独立の横領罪が成立するものとして、各別に訴因の特定を要するものとしたのは、一理なしとしない。しかし本件公訴事実として記載されている事実は前記のように、被告人が右親睦会会長として会員の税金の適正賦課取立等の事務に従事していたと云う同一の社会的事実関係に基き、被告人が右会員より税金として納付する為預り保管するようになつた同一性質の金員を単一又は継続した犯意の下にいずれも自己の用途に費消したと云うのであつて、その所為の態様も軌を一にしたものと認められるのであるから、以上の所為は社会観念上これを包括して一個の犯罪と認められうるものであり、従つて又その全部を一体として批判の対象とし処罰の対象とせらるべき性質のものであるということができる。かくの如く、数個の所為が同一又は継続の犯意の下に数回に亙り連続して行われ、それが各々同一の犯罪構成要件に該当する場合であつて、且それらの所為が同一の社会的事実関係を基盤としてその犯罪の態様をも同じくする為、これを包括して社会観念上一個の犯罪として処罰の対象とすべきものと認められる場合においては、それらの所為を包括して、一個の犯罪として処断することをうるものと解すべきである。

蓋し叙上の各所為がこれを個別的に観察すればそれぞれ犯罪構成要件に該当するため全体としては数罪と認められるような場合であつてもこれを包括して一罪として処断することは被告人の利益を害するものでないのみならず、又かくの如く包括的に一罪として認定処断することが却て被告人の刑責を如実に論定しうる所以ともなるからである。殊に被告人の所為が著しく多数に上りその個々の行為を具体的に確定することは甚しく困難であり、徒らに繁雑を加えるに過ぎないような場合で、しかもその行為の結果が総括的にこれを確定しうるような場合においては――本件は宛もかくの如き場合に属するものと認められる――それらの所為を包括して一罪として処断しうるものと解することは必要且妥当であると云わねばならぬ。何となれば、もし、かくの如き場合においても右犯行は各個の犯罪の集合たる併合罪に外ならないから各個の所為を具体的に確定しない限り訴因は確定せず、又犯罪として認定することもできないものとするならば、事実上かかる犯罪の大部分は訴因を確定し得ざる結果訴追するを得ないこととなるばかりでなく、仮りにその各個の所為を一応確定の上起訴しえたとしても、かかる場合において右各所為は併合罪の関係に立つと解せらるることとなり、しかも、その各個の所為については当該被告人の供述以外にその補強証拠を挙げることは著しく困難である関係上、その所為の大部分は有罪として処断しえないこととなるべく、かくては被告人の犯した行為の全貌を犯罪として如実にこれを確定し、これに即してその刑事責任を論断することは殆ど不可能とならざるを得ないからである。しかして以上の如く数個の所為が包括して一罪として処断すべきものと認められる場合においては、これを起訴状に訴因として表示するに当つてはその処断の対象となる所為の全体を一括して、他の訴因と区別しうる程度に日時、場所方法等を記載して公訴事実を特定すれば足るものと解する。蓋し起訴状において公訴事実を記載し、訴因を明示するのは、裁判所に対し審判の対象を明確ならしめると共に、被告人に対し訴追された事実を具体的に明瞭ならしめ、これに対し充分な防禦をさせる趣旨に出たものと解せられるのであるが、右の如く多数の行為が同一の社会的事実関係を基盤とし社会観念上一個の犯罪事実をなすものと目せられる場合には、その事実の全体を明確にし他の犯罪事実と区別し得る程度に明示するときは裁判所の審理並びに被告人の防禦権の行使に関して訴因の不明確による不利益は生じないものと解せられるからである。

以上説示したように本件の如く同一又は継続した犯意の下に行われた数個の行為が同一の犯罪構成要件に該当する場合であつて、しかもそれらの行為が同一の社会的事実関係を基盤とし且つその犯罪の態様をも同じうするため、社会観念上これを包括して一個の犯罪として処罰の対象と認められる場合には、それらの行為全部を包括的に一個の犯罪として訴追しうべく、裁判所もまた一罪としてこれを認定処断しうるものと解すべきものであるのに、原審は本件起訴にかかる各個の費消行為がそれぞれ独立の横領罪を構成するとの見解に拘泥してその各費消行為の具体的内容を明示しなければいわゆる訴因の特定を欠くものであるとして本件公訴を棄却したのは法令の解釈を誤り、不法に公訴を棄却した違法があるものであつて、検察官の控訴は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第四百条本文に従い主文のとおり判決する。

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 荒川省三 判事 堀義次)

検察官の控訴趣意

第一点原判決は犯罪の個数(罪数)に関する法令の解釈適用を誤り、一罪として起訴された公訴事実を誤つた数罪であると判断しこれに基いて本件公訴は訴因を特定せずに為されたものであり公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるときにあたるとし、これを理由として公訴棄却の言渡をなしたもので明かに不法であつて破棄を免れないものと思料する。すなわち本件公訴は業務上横領の単純なる一罪として訴因を特定して為されたものである。本件起訴状の公訴事実の記載についてみるに、本件被害法益は江戸川税務署及江戸川区役所のために一括徴収の上業務上保管中の現金であるから非専属的法益たる財産に関するもので管理も単一であるし、犯意の点についても単一であり日時場所も近接しており江戸川税務署等の税金徴収の受託機関としての小松川街商小店親睦会長としての地位において組合員から集めた金を費込んだのであるから犯罪の態様も単一である。従つて本件公訴は単純な一罪としての起訴であり、一罪である以上一つの訴因に記載することで足り且つそれで十分としなければならず訴因は特定されているのである。然るに原判決は「横領罪は不法領得の意思が発現したとき即ち費消の都度成立する」という説を述べ、これから直ちに本件公訴事実を「数箇の犯罪行為」と判断し「数箇の犯罪行為」を示す場合として以下論じている。原判決の右判断はその前提が誤つているのである。その誤つた理由を推測するに、従来連続した業務上横領の行為が数個ある場合にはこれを連続犯として取扱つて来たが昭和二十二年刑法第五十五条が廃止された後は従来連続犯として取扱つて来たものはすべて併合罪として取扱うということになつたことから本件公訴事実も直ちに従来の連続犯に属するものとし従つて現行法上は併合罪として取扱うべきものと即断したものであると思われる。然しながら本件公訴事実は厳格な意味における連続犯ではない。連続犯は数罪であり処断上の一罪というに過ぎない。本公訴事実は本来一罪である。

独仏においては刑法第五十五条の如き明文の規定がないのにかゝわらず連続犯の概念が学説上も判例上も認められ本来一罪とされている。元来連続犯の概念は独逸において普通法時代実務上の必要からして認められるに至つた概念であつて学説判例は実務上の必要を反映したものである。数罪倶発の場合の科刑について独法の如く併科主義をとり、これを連続的に行われた同一種類の犯罪のすべてに適用すると、被告人に対し苛酷な結果を生ずる虞があるのでこれを救済する必要上連続犯が認められるに至つたのである。我国においても旧刑法における吸収主義と異つた現行刑法に於ては加重単一刑主義をとつているから、矢張り連続犯の概念の必要がある。刑法第五十五条はそれが廃止される迄実務上最も頻繁に活用された条文であつた。その効用についてみるに第一に実体的な面で連続した同一種類の犯罪行為に対して併合罪の規定を適用することは被告人に対して苛酷な結果を生ずるから一の重きに従つて処断することが実体的に適当と考えられた。殊に現行刑法においては個々の罪について定められた法定刑の幅が相当広いからその範囲内で十分賄うことが出来敢て加重刑の必要を見ない。第二に手続面において連続犯を認め一罪として処断することは公訴事実の範囲、既判力の範囲を画一的に限定する利益があり一種の司法政策的必要をみたすものである。特に被告人の法律的地位の安定の点からいつて前の訴追に漏れた行為を幾度もほじくり出されることは堪えられぬところであり、刑事司法的立場からも必要とされた。連続した同一種の行為は同一に片付けることが刑事司法の利益にも合し、被告人の法的地位の安定の面からも望ましいとされた。第三に起訴及科刑における実務上の取扱を簡易化するに便宜があつた。斯様に連続犯概念は二重、三重の実際的必要に根ざしている。この実際的必要は立法者が刑法第五十五条を廃止したことによつて直ちになくなるものではない。実際的必要が存在する限りそれに相当する概念の構成が必然的に生ずるものである。法律上の概念は法律生活の実際上の必要から生れ実際的必要を満足せしめなければならない。然しながら他面において刑法第五十五条は其の運用において、数箇の行為は同一罪質の犯罪であればよいとし犯意の継続あるを以て足るに及んで非常に広く解釈され弊害を生むに至つた。斯様に広く解釈されたので刑法第五十五条は単純一罪でなく科刑上の一罪であると解釈されるに至つたのである。刑法第五十五条が廃止されるに至つた直接の原因は日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急措置に関する法律の実施に伴い捜査上の勾留期間が非常に短縮されるに及んで、その期間中に連続犯に相当する様な犯罪事実を漏れなく捜査して起訴することがしばしば非常に困難になつという点にあつた。この点も連続犯が非常に広く解釈されたことゝ関係がある。これらの欠陥は十分に認めねばならぬが、その故を以て直ちに連続犯の効用が全部抹殺されるものではない。独法に於て学説判例上認められている程度の連続犯即ち前述の必要を充すとともに、他方一罪として認めて差支えない程度のものは、刑法第五十五条の廃止後において尚その存在価値が認められて然るべきものである。本件公訴事実は廃止前の刑法第五十五条の場合の連続犯でなく講学上「接続犯」として観念せらるべきものであつて本来一罪である。従つて原判決は罪数に関する法令の解釈適用を誤り一罪である本件公訴事実の記載を訴因を特定して為されておらず無効であるとしこれを理由に公訴を棄却したのは明らかに不法であつて破棄を免れないものと思料する。

第二点原判決は起訴状に記載すべき公訴事実の記載方法に関する法令の解釈を誤り、法令で要求されている記載をしているものを訴因不特定であるとし不法に公訴を棄却した違法があり破棄を免れない。起訴状に記載すべき公訴事実の記載方法については刑事訴訟法第二百五十六条第三項の規定があるが、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できるかぎり日時、場所、方法をもつて罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないと規定している。ところで本件起訴状の公訴事実の記載は法令の要求する程度に訴因を明示しているものと考える。すなわち本件公訴は接続犯としての起訴で、単純一罪としての起訴なのであるから、一罪である以上一つの訴因に纒めて記載することで足り、且つ十分である。仮に本件公訴が刑法改正前ならば連続犯にあたる様な場合としての起訴であるとしても刑法第五十五条は廃止されたが訴訟法の面で連続した数箇の行為についての特殊の取扱をすることを禁止していない。同じ訴訟法も自ら実体に関係した面と純手続的な面に区別して考えられるが、公訴の範囲、既判力の及ぶ範囲は実体的な面で刑法第五十五条の廃止によつて当然に影響が及ぶとしても純粋に手続的な面である起訴状の記載判決書の記載の形式については、従来の連続犯にあたるものについてある程度の簡易な手続が認められて然るべきものである。個々の行為について特定出来れば申分ないが特定が困難な場合もあるからある程度概括的に日時、場所、方法等を特定することによつて起訴することが許されるべきである。少くともそうしないと実務上の不便は一掃されない。原判決は本件公訴は併合罪としての起訴であると判定した上「各個の行為の内容を一々具体的に示し、更に日時、場所を明らかにすることによつて一の行為を他の行為より区別し得る程度に明示しなければならない」としそれが為されていないから訴因不特定で起訴無効というのであるが、そのように各個の行為を具体的に明示させる必要もないし又明示させることが不可能な場合もある。先づ訴因明示の必要性について考えてみるに被告人の防禦に支障を来すことゝ二重に起訴される虞があるというのがその根拠と認められるが、始期、終期が明らかにせられ被害者が特定せられ方法、被害、総額が特定せられたならば公訴事実の特定は十分で被告人の防禦に支障を来すことはなく同一期間内に同一被害者に対し同一方法で同種被害を与えたかどうかによつて審判の範囲及び既判力の及ぶ範囲も確定されるから二重起訴の心配もない。従つてこれ以上原判決の要求する程度に迄明示させる必要はない。かえつてこれによつて被告人は起訴漏れになつた事実について改めて起訴されるという法律上の地位の不安定が救済されるという便益がある。次に訴因明示の可能性について考えてみるに業務上横領罪においては費消総額は判つていても一々の費消行為の日時場所を明確にするためには被告人の記憶に頼る以外方法のない場合が多い。そして被告人の記憶たるや往々にして喪失或は不完全化されており極端な場合には被告の黙秘権行使もあつて、個々の行為を明示することが不可能な場合がある。本件事案は正にその適例であつて費消総額は明らかであつても個々の費消行為を特定することは被告人の記憶の喪失のため不可能である。訴因の特定が不可能な事案について訴因不特定を理由に公訴棄却の判決を言渡すならば業務上横領罪は被告人が頗る正直で記憶も正確、且つ任意に供述する場合にのみ起訴が可能であり、そうでないかぎり起訴出来ない、極端にいえば費消横領放任という不当な結果を招く。かゝる結果は到底吾人の健全なる常識の許すところではない。又たとえ一、二の行為について特定出来たとしても量刑上全体について特定出来た場合と相当の差が生じ結局正直者が馬鹿を見るという不当な結果を生ずることにおいては変りがないのである。かくみて来るならば本件起訴状の記載は法令の要求する通り「できるかぎり」訴因を特定しているものと謂うべきであり、これを不特定として公訴を棄却した原判決は起訴状に記載すべき公訴事実の記載方法に関する法令の解釈を誤り法令で要求されている記載をしているものを訴因不特定だとして不法に公訴を棄却したものである。原判決はこの点においても破棄を免れないものである。

第三点原判決は当然刑事訴訟規則第二百八条を適用して釈明を求めて罪数を確定させるべきに拘らずこれを怠り慢然併合罪と判定し、これを前提として訴因が不特定であり無効であるとしこれを理由として公訴棄却したのは結局審理不尽の違法に因り不法に公訴を棄却したものであり破棄を免れない。即ち原判決は起訴状の記載が不特定であることを理由にして公訴を棄却したものであるが、起訴状の記載について疑問が生じた場合にはよろしくその起訴状の作成者である検察官に対して釈明を求めた上罪数を確定させ、その上で訴因の特定不特定を論ずべきものである。何となれば罪数の判断は全証拠の取調を終つてはじめて可能な場合もあり少くとも訴訟を発展的に眺めるならば起訴の時には起訴状の作成者である検察官が捜査の経過に鑑み罪数についての判断を行うのであるから、検察官が一罪と判断して起訴したものである以上、たとえ後になつて裁判官が審理の経過に鑑み数罪と認定したとしてもそれによつて起訴の効力を左右するものでない。裁判官は単に起訴状の記載のみによつて即断することなくよろしく検察官に対し釈明を求めたる上罪数を確定させその釈明に従つて審理を進め検察官の罪数に関する見解に誤のあることを発見した場合に起訴状の補正追完乃至は訴因の変更等を命ずれば足りるのである。殊に本件起訴状の公訴事実の記載はその形式のみからみても明かに一罪としての起訴と認められるのであつて第一回公判において明細表を提出しているのは検察官が併合罪を認めたものでなく訴因をできるかぎり特定しようという努力を示したものに過ぎないから、原判決は全く漫然併合罪と即断したという外ない。裁判所と検察官とにおいて罪数に関する見解が異る場合は屡々あり得ることであるから、その様な場合に一々公訴を棄却していたのでは訴訟経済の面からいつても非常な不都合を生じるし、被告人としても決して好ましいことではない。従つて罪数についても検察官の見解について釈明を求めることなく直ちに併合罪と判定し、これを前提として訴因が不特定であり起訴は無効であるとしこれを理由として公訴を棄却した原判決は結局審理不尽の違法に因り不法に公訴を棄却したものであり破棄を免れない。

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